「忘己利他」の経営湯元舘社長 針谷 了

4回の危機を乗り越えて

1回目の危機

大学1回生の夏休み

昭和44年、ちょうど今から31年前のことです。大学生になった18歳の夏休みの時に、家族4人全員を集めて「もう湯元舘はダメになる。倒産する」と父が言いました。
当時、大学生になったばかりで、大学4年間をどう過ごそうか楽しみにしていた時期でしたので、「倒産」ということがどういうことなのか、どういう事態を引き起こすのかまったく想像がつかない状態でした。
父も母もどうなるのか分からないという状態でしたが、結局は不動産を担保に押さえていた銀行が不動産移転の仮登記を済ませてしまいました。
結果的には裁判になり、毎月調停をするということになりました。ハンコを押しにいくのが、私の仕事になりまして毎月裁判所に行くのですが、銀行側がハンコを押してくれないと、その時点で旅館は銀行のものになってしまう訳です。幸い、なんとかハンコを押してくれましたので、今日がある訳です。

破綻の原因は設備投資

第1回目の危機の原因は、昭和42年12月の設備投資の進め方にありました。
玄関のある本館の建物を1億3千万で建てました。借金が1億6千5百万で、昭和43年の売上が年間5千5百万でした。つまり、売上の3倍の借金があった訳です。 当時の金利は10%を超えていましたので、売上の30%を利息で取られるという状態でした。今にして思えばやっていける訳がない状態でした。事実1年半で破綻しました。
父もかなりの余裕資金を持っていたのですが、それでも1年半しか持ちませんでした。父は大変借金が上手で、いろいろなところから借りてきました。
バーのママや生命保険の代理店をしているおっちゃんから年利27%の条件で借りたり、売店の社員からも借りたりしました。
親戚はとうの昔に借りていました。いろいろなところから多額の借金をしたのですが、それでも足りませんでした。
借りるのは上手くても返すのは下手だったようです。どんどん悪い循環になってしまいました。

万博で助かる

昭和45年に万博があり、昭和44年の夏には既に予約が入っている状態でした。銀行の取締役会で一人だけ湯元舘を潰すことに反対をしてくれた人がいました。理由は翌年の万博でたくさん予約が入っている。 もう少し借金を返させてから潰した方が得ではないか。ということだったようです。間に入ってくれる人がいまして、2千万返すことで話がまとまりました。
当時、湯元舘の宿泊代が新館の二人利用で2千円位だったのが、万博では定員で入って4~5千円の税金別で入ってきました。今の金額で換算すれば、定員で3万円の宿泊料をもらって、毎日満館になるというような状態でした。
当然、儲かって儲かって、こんなに儲かるのかというくらい儲かりました。2千万銀行に返した上に、裏金をかなり貯め込むことができました。
こうして1回目の危機を切り抜けました。

2回目の危機

しかし、万博が終わった昭和45年秋から徐々に悪くなって、46年の春にはまた資金繰が厳しくなりました。
「もう、アカン」という状態で、国道沿いにあります4階建のマンションの土地は、元は湯元舘の持ち物だったのですが、これを3千万で売りました。
しかし、売却するのもなかなか銀行の許可がおりませんでした。
それは父としては裏金が欲しかったからです。裏金で裏の借金を返さなければいけませんでしたので、裏金を出してくれるところに売りたい訳です。うまく希望の売却先が見つかり、一息つきました。

3回目の危機

またまた昭和47年に、営業不振により資金繰りが悪化し、3回目の危機が訪れました。「万博もないし、れる土地もないし、もうダメだ」と覚悟しました。

また神風

ところが、お客様が増え出してきたのです。どんどん、どんどん増えてきたのです。
何故かというと、今もありますがソープランドの影響が出てきたからです。どんどんソープランドができて、評判が伝わり、お客様がお客様を呼んでくるという状態で、「雄琴温泉が良い」ということでお 客様が来た訳ではないのですが、ソープランド目当てのお客様が雄琴温泉に溢れるくらいたくさんいらっしゃいました。
もともと、人がいないローコストオペレーションでしたから、母が7部屋、8部屋を担当するというくらい獅子奮迅の働きをしました。風呂焚きもし、ルームもし、会計もやったりしました。
そんな具合のローコスト経営でしたから、お客様がたくさんいらっしゃると本当に儲かるのです。丸3年間で短期借入や裏の借金を完全に返しました。その上、2千万ほどの預金もできました。本館を建てた借金以外はすべて綺麗に返しました。

3回の危機の間のエピソード

こういうように、3回の危機を切り抜けてきたのですが、この間にもいろいろなことがありました。
12月31日に両替をして欲しいとお客様に頼まれたところ、金庫を見たら千円札2枚しかなかった、ということもありました。仕方ないので、近くの牛乳屋さんにお願いして両替してもらい、お客様にお渡しをしました。
また、ある日父に連れられて高利貸しのおっさんのところへ行きました。50日1の利子でお金を借りていましたから、当然返せない訳です。なんとか期限を延ばしてもらおうとお願いに行く訳です。息子の教育とでも思ったのでしょうか、私を連れていきました。二十歳そこそこの頃です。高利貸しのおっさんの言うには「わしのところに来るやつは20軒のうち19軒潰れる。ところが、1軒は助かるよ。あんたもがんばって、その1軒になりなさい。」とすごくやさしい言葉をもらいました。高利貸しというのは、世間で言うほど悪い人ではない。やさしい人もいるんだと感激をしました。
ところが帰り際に振りかえると、そのおっさんが「これで最後やで」と言いました。その時の目がぞっとするほど冷たい目をしていました。帰ってそのことを父に話すと、父も同じように感じたようでした。
どこで金を工面してきたかわかりませんが、その後すぐに高利貸しのお金は返しました。そんなこともありました。

内緒で通った大学生活

1回目危機の時、銀行側の条件の一つに、私が大学を辞めて家を継ぐというのがありました。そこで、姉や両親には辞めたことにしていました。
しかし親友に相談したら、絶対に辞めるなと言われていたのです。しかし、辞めなければならない状況でしたから、学校には行っていませんでしたが、退学届も休学届も出さないでいました。友達に訳を話して、内緒で試験の時に電話をしてもらうように頼みました。試験の1週間前になると電話を掛けてくれました。1時間だけ授業に出て、試験を受ける訳です。何とか単位を取ることができまして、大学は辞めずに済みました。授業料の支払だけはできませんでしたので、翌年になって、両親に話しました。銀行には内緒で大学に通っていた訳です。

学校よりもセールス

そうやって、片手間の大学生でしたが、中心は旅館です。
何とかお客様を呼ばなければいけないということで、営業に出掛けました。
元々、積極性に欠ける性格でしたが、自分自身このままでは人生が駄目になると思っていましたから、性格を変え、積極的になる為にも営業に行くことが一番いい方法だとも思って、関東を中心に営業を始めました。
皆さんも経験があるかと思いますが、エージェントさんの前に立ってもなかなか中に入れないものです。前を行ったり来たりを繰り返しました。毎朝、最初の1軒に行くのは行きづらかったのを良く覚えています。
また、積極的な性格になるのには、女の子を口説くのがいいのではないか、と思って片っ端から口説きました。何と13連敗を喫しました。ところが14人目からは連戦連勝でした。ある時に悟りやコツを掴むのです。開眼したら面白いようにもてました。経営と一緒なのですね。

ソープランドのお蔭で無事卒業

ソープランドのお蔭で儲かっていましたので、5年かかりましたが無事に大学を卒業しました。
そして昭和49年卒業後、丸々2年間遊ばせてもらいました。最盛期は1ヶ月に27日祇園に通うくらいで、家2軒分くらい遊びました。

4回目の危機で禅譲

そんな良い時代がありましたがソープランドのブームが終わる昭和51年には4回目の危機が訪れました。
その時にはつくづく、父が経営者として失格だと思いましたので、「もう替われ」と父に迫りました。まじまじと私の顔をみまして、「さとる(了)、お前本当にやるか?」と聞きました。「やるッ」という 返事をしたところ、ポケットから鍵の束を出して私に渡しました。
社長の証である鍵の束の受渡しで、禅譲が決まった訳です。僅か10分ぐらいの出来事でした。

了にまかせた

調理長が社長に献立の相談をしても、「了に任せたから、了と相談せい。」支配人が営業のことで相談しても「了に聞け」といった具合で、ありとあらゆるところで、自分はもう辞めたからと私に権限を委譲して きました。
急速に私の体制が社内にでき上がりました。17日に社長を禅譲された訳ですが、月末になると総務部長から私に資金繰がつかないという相談がありました。これには参りまして、父に「せめて今月の資金繰の面倒は見てくれ」といいましたところ、「何言うてんねん、任せたのだからお前がやれ」と突き放されました。
私は頭にきまして、もう二度と金のことで父に頭を下げないと心に誓いました。自分で銀行に行き、金を借りて何とか凌ぎました。
それ以降は、肩書きは父が社長で私が専務でしたが、何もかも任されてやってきました。

経営の天才と錯覚

4,800円、12品、5大サービス付

昭和51年春に経営を任されてから、何とかしないと今までの二の舞になると思いました。大学時代の5年間営業に歩きましたが、ある時に千葉県の3~4人でやっている旅行業者が、A4版の料理が載った伊香保温泉の某旅館の企画商品のチラシを見せてくれました。「お客が欲しかったら、こういう企画をしなさい。」と教えてくれたのです。その企画は料理の量が多いだけの大した企画ではありませんでした。
その当時、関西の料理の基本は8品でした。帰ってから調理長に言いましたら、「ボン、こんな安物の料理出来まへんわ」と突っぱねられました。しかし、私が実権を握ってからは、しぶしぶ協力してくれて、企画が完成し販売しました。4,800円、12品、5大サービス付という企画ですが、その夏の期間に売上が前年対比3割増加するくらい売れました。秋はシーズンでそこそこ良かったので、特に手を打たなくても良かったのですが、冬はいけません。それまでの例ですと、ひと冬で2,000万くらいの赤字になります。

大関の活躍

何とかしようと思って本を読んでいたところ、「企業は人だ」という言葉にめぐり合いました。さっそく採用活動をして、2人採用しました。その内の一人が現専務の大関です。それ以来、私の経営上のパートナーです。この大関が獅子奮迅の働きをしてくれまして、その冬は人員で前年の3倍、売上で2倍の結果を出してくれました。例年1~3月は月に1,300人位であったのが、4,000人入り、毎日満館状態で定員稼 働率90%を超えており、100%以上という日も珍しくありませんでした。
あれだけ、嫌がっていた調理長も私になついてくれました。他の旅館の社長から「湯元舘は料理ではやっているそうじゃないか?お前はあそこの調理長と友達なんだから秘訣を教えてもらってこい」と言われた仲間が再三訪ねてくるから、鼻高々で気分がいい訳です。「ボン」と言っていたのが「専務、次は何をやりましょ」と聞いてくるくらいになりました。勢いで、鯛一匹付やうなぎ一匹付など、いろいろな企画をやりました。この企画を大関が売りまくってくれました。

西館の増築

父から継いで、1期目で黒字にしました。2期目に入ると仕入業者がどんどん来るようになりました。湯元舘が繁盛しているから、売り込みに行けと言われてくるのですが、今までよりも安い値段で売りに来るようになりました。それまでは支払が悪いという噂で、誰も来なかったのですが、この時はどんどん来ました。
沢山の仕入業者が来ると、どんどん値切れます。安い値段で仕入ができますから、それだけ儲かってしまいます。2期目は大幅な黒字になりました。そして、3期目で増築をしました。
お蔭で昭和54年には、西館を増築することができました。一挙に2.2倍の規模になったのです。潰れかかっていた時に、ああいう旅館になりたい、一生かかっても無理かな、と思っていた目標とする旅館がありまして、僅か3年で、その旅館の規模を追い越したことは、本当に嬉しかったことでした。
たった3年でした。人材や、やり方次第で変われるのだと思いました。手の届かないと思っていた旅館にたった3年で追いつき、追い越したのです。
同じような話を「オロナインH軟膏」の大塚製薬の社長が言っていました。「メンソレータムには絶対に追いつけないだろうと思っていたが、数年の内に追い越してしまった」という内容でした。
自分でも商売の天才だと思っていました。『こんなに儲かる商売はない』『旅館経営なんて簡単や』と公言していました。

イベントが無くなるとお客様もない

しかし、天才ではなかったようです。昭和54年に建築をし、55年は本願寺の遠忌があり、56年はポートピア博覧会があって良かったのですが、その次の年の57・58年はイベントが無く、お客様が減少し、途端に苦しくなりました。
その当時リョケンでは、坪35万円くらいで旅館を造っていたようです。湯元舘の西館も坪35万円でしたから、我ながら安く建築したと自負していました。しかし、同じ35万円でも中身が違っていたようです。57年には商品力が無かったこともありまして、塗炭の苦しみを味わいました。毎月、毎月資金繰に追われて苦しみました。天才でなかったことを痛切に感じました。

トロン温泉

そんな時に「トロン」という人工の温泉設備の話を聞きました。私はこれに飛びつきました。銀行は金を貸してくれないだろうと思いましたが、話をすると割と簡単に貸してくれました。「湯元舘をなんとか助けよう」「これからは高齢化時代が来るから、そういう施設は需要があるだろう」というような判断だったのではないかと思います。
「トロン」という人工の温泉で日帰り入浴の営業を開始したところ、1年目は目茶苦茶流行り、儲かりました。2年目になると途端に客数が減りましてガックリしました。3年目目には奥の方に増築して、また流行りました。そして4年目にまたガックリきました。その後は落ちる一方です。しかし、1年目と3年目に大分借入金を減らしていましたので、今までに比べたら、少しは楽でした。

経営の転機

全旅連青年部への出向

昭和60年に全旅連青年部に組織委員長として出向しました。1年目は経営状態も良くないので、充分な活動ができませんでした。
2年目は奮起して全国27ヶ所くらい飛び回りました。その姿を当時の副部長であった萬国屋の本間社長が見ていまして、翌年、本間社長が部長になり、私を副部長に指名してくれました。うれしかったことを忘れません。

リョケンとの出会い

その副部長を努め、1年が終わる時に本間さんに呼ばれ、コンコンと諭されました。当時は、「リョケンというのは全国に同じような建物を建てており、旅館を駄目にする旅館の敵だ」ということを公言していました。本間さんは、旅館のこと、リョケンのこと、私の経営姿勢のこと、あらゆることに渡って諭してくれました。この時、心の底から自分が間違っていることに気がつきました。そして、リョケンの木村専務(現)を紹介していただきました。その当時、リョケンは、旅館業界では協力開始までに3年待ちだと言われていました。
ところが、わずか2~3ヶ月くらいで、来ていただきました。この木村専務との出会いが私の人生に大きな影響を与えてくれました。
「社長、経営理念は何ですか?」「経営理念がなくて、どんな風に思って経営していますか?、お父さんやお母さんからどういう風に教えられましたか?」と聞かれました。しかし、答えられるものはありませんでした。
ただ、今の経営理念になっている最澄の「忘己利他」という言葉が好きです、と伝えたら「それがいいじゃないですか。これを経営理念にしましょう」と言われました。
それ以来、そうか、そういうことなのかと思うようなことの連続でたくさん教えていただきました。

それまでの設備投資

西館を建てた時の設計施工契約が如何に愚かなことだったか、後になって知りました。トロンの時、近くの設計事務所に頼んだことのマイナスも経験しました。
トロンの時は、大津の設計事務所で、県内では著名な事務所に頼みました。完成して内部の仕様を確認すると、設計仕様書と違う仕上げの部分がたくさん出てきました。
建築に詳しい友人に聞きましたら、「針谷さん、そんなのは常識やで。設計会社はゼネコンからお金をもらって仕様を落とす。これは業界の常識やで。」と言われ愕然としました。
とにかく、元の仕様に戻すようにしました。設計施工もダメだし、設計事務所に任せるだけでもいけない。どうしたら良いのかと迷っていました。

リョケンの設備投資

そこでリョケンとめぐり逢いました。リョケンの設計事務所は料金が高いですよね。きっちり取られますよね。しかし、それが結局のところ得をするということが分かりました。
先程の失敗の後、リョケンの協力を得るようにして、1期から4期まで設備投資をいたしました。

恩師との出会い

その間に「盛和塾」という京セラの稲盛さんの塾に入りました。ここでもたくさん教えをいただきました。
また、山川先生という税理士さんにも教えをいただきました。実は税理士としてお付き合いを始めた訳でなく、知り合って素晴らしい人だと感じてから、税理士の仕事をお願いした方です。
8月31日に全社員研修と、その一環としての経営方針発表会を行ないました。全社員研修では、木村専務の研修の後、山川先生からも感動する素晴らしい講話をしていただきました。
経営方針発表会では、金融機関の方々とともに両先生からもご挨拶をいただきました。その後、大懇親会を焼肉屋で行ないました。
そんな経験をしながら、いろいろな方に教えを請いながら、歩んできました。

経営者の責任

心を高める経営

一番単純な言葉ですが、「企業は経営者の器以上に大きなものにならない」と言いますが、本当に心の底から感じました。逆に言えば、自分の器が大きくなれば会社も大きくなる可能性があるのだ、というよう にも思いました。
稲盛さんが「心を高め、経営を伸ばす」ということをおっしゃっています。心を高めることが経営を伸ばすということだということだそうです。
心を高めるというのは、どういうことなのかというと視点を高めるということです。森を見るにしても、低い位置から見ると見方を誤ります。木の上に登ると森全体が見渡せます。高い視点で見ますと経営の判断 を誤りません。低い位置から見ると近いところしか見えませんから、判断を誤る、大局的な判断ができません。心を高めるとはこういうことなのだと思っています。
経営を伸ばして、湯元舘を鋼(ハガネ)のような組織にしたい。何があっても潰れない組織にしたいと思っております。

コストがかかっても組織を強くする

先ほどの全社員研修・経営方針発表会も1日かけてやりますと、約250万円かかります。他の社員研修もコストがかかります。
特消税の運動の時も1,000人単位の集会を3回程行ないました。交通費を払って上京する参加者のコストなどを考えると大変な額になります。しかし、そういうことをやらないと組織は結束をしないし、盛り上がらないものだとつくづく思いました。それが有効な方法だと感じました。経営方針発表会にかかる250万円のコストは大きな効果を生んでくれると信じています。
ISO14001の取得に関するコストも同じことです。ハードルも高く、コストもかかります。しかし、これにチャレンジしたことで、組織が一段高いレベルに上がったと思います。間違いなく一段上がりました。 担当者だけでなく、全員がスキル、モラルが上がったと実感しています。いくつかの試練やチャレンジが組織をより強くすると信じています。

経営力

「経営」というのは「経営力」ということだと思います。「経営力」というのはチャレンジの数に比例するものだと思っています。
旅亭紅葉の先代の社長で、木下弥三郎さんという私の尊敬する経営の神様がいました。この方の有名なエピソードは、パチンコに椅子を最初に付けることを考えたということです。その他にも歌声喫茶ですとか、ボーリング場も関西で一番最初に始めた方です。そんな水商売の天才と思えた方でも「10個に1つしか成功しなかった」とご自身で言われていました。そのくらいたくさんチャレンジしたのです。
折口さんという、グッドウィルカンパニーの社長の本を読みました。六本木のヴェルファーレというディスコで大成功と失敗をし、今はコムソンという介護の会社を行なっている方です。失敗しても失敗しても へこたれず、チェレンジをしてきている人です。

経営の根本を考える

経営を考える際に、鉄則として「根本から考える」ようにしています。湯元舘の目的は「全社員の幸せと地域社会への貢献」等々です。その目的を達成する為にはどうすれば良いのか?物心両面における幸 せを達成する為には、経営力を高めなければいけない。良い旅館という評価よりも儲けなければいけない。
それには、仕入コストを下げて、売上を伸ばさないといけない。というように考えられます。根本から考えないと現象に惑わされます。
「インターネットは針谷さん、どうされていますか?」「部屋のタイプをどう考えていますか?」というようなことをよく聞かれます。必要なことではありますが、その根本がどこにあって、何故そのことを 検討しなければいけないのかということを押さえておかないと、世間の流行や現象に惑わされて判断を誤ると思っています。経営を見失い、心を高め経営を伸ばすことができないと信じています。

今、160名の社員がいます。この社員が一丸となって戦う為には「大義」が必要です。その重要性を教えていただいたのが木村専務であり、「忘己利他」という言葉を経営理念としています。自分よりお客様のことを、自分より同僚のことを先に考えよう、という意味で旅館にふさわしい言葉だと今では思っています。

経営は闘い

経営というのは、「人・物・金」という経営資源を使って闘うことだと思っています。
私は特に「人」が重要だと思っています。人がどうなのかということです。このことは追ってお話しをいたします。
このように人を使って闘う訳です。闘う時には敵が少ない方が良い。設備投資の時は、近畿地方の中央部で競合先の少ないタイプの旅館を目指しました。ご覧いただいて、なんの変哲もない普通の旅館と感じた方が多いと思います。私は、この形が競合が少なく、一番売りやすい旅館だと信じて、設備投資をいたしました。需要が多くて供給が少ない。
有馬へ行きもう少し高い料金を払えば良い旅館がたくさんあります。しかし、この近辺ではありません。一番敵の少ない市場を狙って闘いを挑んだ結果が今日の姿です。この大宴会場をフルに使った100名以上の団体は、去年14組しかありませんでした。どんどんコマ化していまして、65%が20名以下のお客様になりました。このコマ化に対応ができたことが今の業績に表れています。

再建の三大原則

少なくとも4回は潰れかかりました。それ以外にも苦しい時期がありました。潰れない為にはどうすれば良いかを必死で考えました。
そんな時に森 信三さんの言葉を教えて貰いました。「時を守り、場を清め、礼を正す」という言葉で、教えていただいたのは先ほどの山川先生です。これは再建の三大原則という言葉です。時間を守り、 5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)を怠らず、礼節を守る。
ある時、ゴルフの幹事をしている方が、方々で私を誉めてくれているということを耳にしました。「針谷は案内状を出すと、毎回必ず一番最初に返事をよこす。彼は信用できる」ということのようです。こんな単純なことで、世間は評価してくれるんだと思いました。そんなこともあって、この言葉を大切にし、守っています。

縦糸を見失わない

時代はどんどん変わります。それに対応してきたからこそ、今日の旅館があるのだと思います。ただ、今はあまりにも時代の変化に振り回されているような気がします。いつの時代でも変わらないもの、 例えは「お客様は清潔な方が好きだ」「料理は美味しい方が良い」「料金はリーズナブルな方が良い」というようなものが、縦糸のようなものだと思っています。真理であると思います。この不景気な時代 で大切なことはこの縦糸の部分、真理の部分を一所懸命磨くことだと信じています。
インターネットや貸切露天風呂など現象面での対応も、もちろんやっていかなければいけません。しかし、本当に大切なのは、何の為にそれをするのかという縦糸を見失ってしまってはいけないのではないかと思います。

学ぶ義務

経営者たるもの、学ぶ義務がある。と思っています。社員に対して全責任を負っている訳ですから、学ばなければ経営者として失格だと思います。
学んでも活かせない場合もあります。能力が無い場合はそういうこともあるでしょう。少なくとも、一所懸命に学ぶ姿を示すことができなければ経営者として失格です。
小学校の頃、漢字を学ばなければ書けなかったはずです。多くの人は社会に出て、学ぶことをやめてしまっているのです。高校の時の同級生で、当時はうだつの上がらなかった奴が大きな会社を経営していたり、反対に優秀な成績だった人間が今ではパッとしないというようなことがありませんでしょうか?先日、同窓会に出席してそういう現実を私も体験しました。
社会に出て、勉強したかどうか、修羅場をくぐってきたかどうか、そんなところに違いがあるのではないかと感じた訳です。
知識、見識、胆識といいますが、この積み重ねの量が差を生むのだと思います。経営者であるからには、少なくとも学ぶ義務があると思う訳です。

学び且つ行なう者は必ず成功する

「学び且つ行なう者は必ず成功する」というエイエイピーグループ・リョケンの創業者の土屋金康さんの言葉があります。この言葉に接して、ビッビッときました。これはすごいな、この通りにやれば 大丈夫だなと思いました。この精神が大切なんだと感じました。
一所懸命勉強して、一所懸命実行していくんだと誓いました。

「窮して困(くる)しまず、憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わざること」(筍子)
「自靖 自献」(書経)

という二つの言葉があります。この言葉が学ぶことの大切さを表わしていると思います。「苦境の時にもバタバタしない、投げやりにならない、景気の好い時もあれば不況の時もあるから、迷わずにドンと構えなさい」「自分を信じて、成績が悪いようなことがあっても慌てない、そ して自分で学んだことを世の為、人の為、お客様の為に活かしてください。その為に勉強をするのですよ」という意味の言葉です。
学ぶ方法として良い方法は、私は本を読むことと師匠を持つことだと思っています。後輩にもいつも言っていますし、講演の時はお手元の資料のように、推薦図書を一覧してご紹介しています。ご参考 にしていただければ幸いです。

良い師匠に学ぶ

いろいろな方に教えを請いました。重要なことは、自分から「教えてください」と言わなければ教えてくれないものなんだ、ということです。
後輩にもよく言います。「どんなに変な質問でもいいから聞いてこい。変な質問でも繰り返し質問し、教えてもらうことで、だんだん的が絞れて成長するものなのだ。自分で勝手に師匠に任命して、自分 から積極的に教えを請うことが一番有効な勉強の仕方だよ。」私自身もそうしてきました。
経営というのは文化だと思っています。大工さんでも師匠がいなければ育ちません。経営も同じだと思います。良い師匠を探すことが一番の近道だと思います。

率先垂範

「率先垂範」という言葉があります。ウエストポイント陸軍士官学校では「突撃」という命令を出す時は「フォロー・ミー」と言うそうです。「俺に続け」ということでしょう。士官が一番危険な 先頭に立って戦わないことには部下はついてこないという教えを表わしているそうです。まさにそうだと思います。経営者が強い意志を持って、自らが範を示すことが大事なことだと思います。

私の好きな言葉

「積小為大」(二宮 尊徳)

私の大好きな言葉です。経営というのはこの言葉以外にないと思っています。経営とは、一つひとつのことを積重ねて大を為すものだと思います。160名の社員が1日3個ずつお客様の為になること、会社の為になること、社会の為になることを積重ねれば、1年で10万個になります。これができる会社なのかどうかが、1年で大きな差が出てくると思います。 廊下で落ちているゴミを拾っても、トイレペーパーを三角に折っても、大浴場の桶を社員の一人が整理しても、お客様は増えません。それが、10万個、100万個になると確実にお客様が増えます。 全員が毎日するようになると確実にお客様が増えてきます。間違いのないことです。
一所懸命行なうこと、それを有効に活かすことが経営者の務めであり、役割です。率先垂範して行ない、社員全員に徹底することが重要なのです。経営そのものだと思っています。

「克己の工夫は一呼吸の間にあり」(佐藤 一斎)

例えば、クレームが発生します。クレームが発生したら一番に謝りに行くことです。時間が勝負です。
己に克つのには、一瞬の内に決めることだという意味ですが、クレームが発生してもそうです。嫌だと思うとなかなか謝りに行けませんです。すぐにやるということが大切なんだと思います。
今、社長通信を毎月発行していますが、これはリョケンのセミナーでホテル志戸平の久保田社長と一緒に、パネラーとして登壇した時に教えていただいたのがきっかけです。これだと思いました。なんとか自分の考えを社員に伝えたいと思っていたところでしたので、帰ってから直ぐにやりました。先月で120号となり、10年続けることができました。
元々数学が得意で、文章を書くことが苦手だったのですが、「克己の工夫は一呼吸の間にあり」という言葉通り、直ぐにやらなければ駄目だと思い、文章の練習を兼ねて始めました。

「これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」(論語)

トロンを昭和58年に立ち上げまして、60年に増築しました。トロンという商売はゼロから立ち上げたものでしたから、私も面白くてトロンの方にばかり関わっていました。その時支配人で目茶苦茶な奴がいまして、「社長、トロンばかりやっていては駄目じゃないか?」と言われ、私は「湯元舘は旅館もやっているし、トロンもやっている。株式会社湯元舘はどんな商売をやってもいいじゃないか」と答えたら大層怒りました。「わしら、旅館が好きで湯元舘に勤めているんやで。社長が旅館を好きでなくてどうするんじゃ」ということです。
この支配人は訳があって辞めてしまいましたが、その一言で目が覚めました。その通り、自分は本当に旅館が好きで商売をしていたのか、楽しんで商売をしていたのかと本当に反省をしました。そこで、好きになる為にはどうしたら良いのか自問自答しました。今は天職だと思うくらい楽しんで商売をしていますが、その頃はそうではなかったのです。楽しむまでにはなかかないかないものです。 楽しいというところまでいくには、利益が出ないとそう思えないということが分かりました。
4回の倒産の危機の時、家族で集まって毎晩泣きました。どうしてこうなるのだろうとよく泣きました。先が見えないということは本当に恐ろしいことです。どんどん、自分の気持ちが荒んでいきます。楽しむということは難しいことです。しかし、それが必要なことだと思います。

利益の出し方

利益はご褒美

「旅館の商売を楽しむ」為には利益を出さないければ楽しめないと先程言いました。利益を出す為にはどうしたら良いか。これも根本から考えないといけないと思います。
利益はご褒美だと思っています。一所懸命お客様の為に、世の中の為にやることの結果がご褒美としてもらえる利益だと。だから、多い方がいい、利益がたくさん出るよう、どんどんやろうじゃないかと言っています。
ただ、ご褒美は必ずもらえるとは限らないものです。一所懸命やって、お客様が喜んでくれても利益が出るとは限らないものです。では、どうしたらご褒美がもらえるようになるか、というところから考えていかなければいけない。そうすれば、利益は出てくるという考えです。「どうしたら」ということです。

品質・価格×販売力

売上と利益の構成要因は、売上=商品力×販売力であり、商品力とは品質と価格の対比だと思っています。
品質が良くて、価格がリーズナブルであればお客様は来てくれる。更に、販売力があれば更に来てくれる。この三つの要素が繁盛の三要素と思っています。
では、販売力とは何かといいますと、需給関係だと思います。他に企画力、営業力、販売網の整備などの要素もありますが、一番は需給関係だと思います。一番需要の多いところに商品を持っていけるかどうか ということが、販売力の基本であり、経営の基本であると思っています。それができれば、経営は本当に楽になります。常に、有利な立場で商売ができるように商品を据えていくことが販売の大半を決めると思 っています。

案内所通信と感謝の心

販売網も大事です。今日も名古屋の案内所の所長が出席をしていますが、毎月案内所に礼状を出しています。10数年続いていますが、年間の予定数字を期首に勝手に決めて、その月々の予定に対して実績がこうでした、という報告を兼ねてお礼を伝えています。勝手に決めた数字ではありますが、所長さん達はノルマだと思って頑張ってくれています。私は我々の営業の手の届かないところをカバーしてくれているお礼の気持ちを込めて、ご報告とお礼を出しているのです。大切な人的ネットワークとして守っていきたいと考えています。
1年間の予定を達成した案内所には、私と担当者が伺い、ささやかではありますが一席を設けるようにしています。お礼を言って、感謝の気持ちを表わすようにしています。父は、いくら送客してくれたらこれだけバックする、というようにやっていました。鼻先人参ではダメなんですね。続かないのです。 一番重要なことは、感謝の心だと思います。それを形に表わして喜んでいただくことが、次の拡販の道だと思います。

足元を見直す

旅館のオヤジの考えることは昔から同じで、お客様が入らない、予約台帳を見ると予約が少ない。そうすると決めていた値段よりも1,000円、2,000円安くしてでも予約を受けろとハッパをかける。安いからと予約の担当者が断っていると、烈火の如く叱る人がいます。暇な時だからという理由で受けさせようとする。そして、月次を締めてみると売上は上がっているが、利益が出ない。儲かっていないから、借金も返せないという状態になっている。見かけの売上だけでは駄目だからといって、また料金を元に戻す。そうすると、またお客様が入らない。こんなことの繰り返しを延々としていたように思います。 友人の旅館でもこういうことをやっているところがあります。「もう、卒業したらどうや」と言うのですが、目の前のお客様の予約が少ないと料金を下げて、お客様を確保しようとしてしまうようです。
私は、予約の陰りが出てきた時には、全館を見回るようにしています。施設、サービス、料理等の品質を自分の目でもう一度確かめます。お客様に喜んでいただけるレベルにあるのかどうかです。
そうすると、不行き届きがたくさん見つかるのです。クロスが破れていたり、老朽化した施設や設備が更に気になったり、ご挨拶やサービスが行き届いていなかったりということを発見します。 これではいけないと思い、問題点を丹念に潰していくのです。一所懸命潰していき1ケ月くらいすると、不思議に予約が増えてくるのです。これは何度も体験しましたが不思議なものです。気持ちが通じるという ことなのでしょうか。
人については、自分が望んでいた時に、ポッと目の前に現れました。片腕となっている大関専務の時もそうでした。寺島常務もそうです。自分がこういう人材が欲しいと願っている時に、不思議とめぐり逢うものです。 木村専務との出会いもそうです。平成2年に設備投資をする際に、料理のことで悩んでいた時に、今の調理長の椿が現れました。自分で恵まれていると思っていますが、自分が望んだ時に、それに叶う人材が現れるのです。 運かもしれませんが、強く望むことが、如何に大切なことかと思うのです。

入りを量りて出づるを制する

「入りを量りて出づるを制する」という言葉があります。稲盛さんは「収入は最大限に、支出は最小限に」と言っています。これは、増築をしても経費は増築前よりも少なくしなさい、ということを意味しています。
我々は増築をした場合、施設が2割増えたから電気代も2割増えても仕方がない、と考えてしまいます。これでは駄目だそうです。2割施設が増えても、電気代は2%でも3%%でもいいから、逆に安くなる方法を考えろ、ということです。これはすごい発想です。
今年度の償却前営業利益の計画も、各部門では0.数%という細かな数字の目標を掲げてやっています。経費削減委員会の報告にもありますが、本当に細かいことをやっています。そんなに細かいことまでしなくても、というご意見もあるかと思います。しかし、この細かいことの積み重ねが成果として現れるのです。まさに、「小を積みて大を為す」の言葉通りだと思っています。この委員会の活動を大変評価しています。

すべては人

教育

経営というのはすべて人だと思っています。優れた経営者に何人も逢いましたが、例外なく優れた教育者だと感じました。また、アジテーターでもあると思います。「こっちへ行くぞー」と進軍ラッパを鳴らして、引っ 張っていくということが組織にとって重要なことだと思います。
ISOに取組む前に、いろいろとディスカッションをしました。メリットやデメリットを盛んに意見交換しました。ある時点で私は決断しました。その時に、「これ以上、やるかやらないかという議論はするな。やること に決定する。これからはどうやってやるかの議論をしよう」と話しました。すると一番反対をしていた調理長が、それ以降一言も言わずに、一番熱心に取り組みました。審査官の評価も一番のようでした。
ひとつひとつのハードルを越えることで、部下がどんどん育っていることを感じます。ISOも経営方針発表会も今日のセミナーもそうです。自分自身も含め、こういう機会を得る事は貴重な機会であり、勉強になっていると感じています。明日、講演します5人の幹部には大変良い機会になると信じています。

活躍の場を与えて評価する(信賞必罰)

組織が成長する良い機会として、今回のセミナーを活用させていただこうと幹部社員の講演も採り入れてもらいました。
調理長が好きな言葉に「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」という言葉があります。
調理長は部下を大変きつく叱ります。蹴飛ばす時もあります。ところが、遊ぶ時は全部自腹でドンちゃん騒ぎをして、ものすごく部下を可愛がります。だから、仕事に対しては厳しいのだということを精一杯表わしているように見えます。中途半端なことで誉めたり、甘やかすようなことは決してしません。見ていても頭の下がる思いです。

昔教えを請うた先生に「旅館というのは9割の真面目な社員と1割の創造的な社員がいたらいいよ」と言われました。今でも私はそうだなと思っています。
旅館に東大法学部を卒業した人材が喜んでくる訳もありません。湯元舘も大卒がやっと入ってくれるようになりましたが、たまたま入社してくれた優秀な社員が活躍できる場所を与え、評価をするということが重要なことだと思っています。

コミュニケーション

お手元の資料に「はんなりタイムズ」という社内報があると思います。前は社長通信の中に、業績などは入れていました。
毎日経営をしていますと、どうしても私のワンマンになりがちでした。自戒をしているつもりですが、なかなかうまくいきませんでした。
ワンマンの弊害を無くす為にと考えたのが、数字を公開することだったのです。売上、利益を公開するようにしました。幹部社員には決算書をそのまま見せます。それ以外は9月号に一人当たりの売上や利益を詳しく、 分かりやすく掲載します。業績をオープンにすることで、会社の実情を理解してひとりひとりのモチベーションが高まればと願っています。ちなみに金融機関に対しても毎月の数字の報告を行なっています。

感謝の心

最後に、人の問題で大切なことは「感謝の心」だと思います。向かい側に旅館がありました。前の経営者は新車が出る度に新しい車に乗換え、ゴルフも上手で恰好の良い方でした。しかし、旅館の成績は振るわず、 社員へはボーナスも出せませんでした。同じ社長として、憤慨をしておりました。社員、お客様が可哀相でなりませんでした。
お客様、社員、社会に対しての、感謝が一番にないことには、経営というのは金儲けだけになってしまうと思うのです。一番に感謝の気持ちを自分で意識して持つようにしたいと思います。

「ある・ある・ある…」の発想

「できない理由を並べて成功した人はいない」(石川 洋)

湯元舘は新館の「月心亭」以外は琵琶湖が見えません。雄琴温泉は女性客の偏見が、まだまだ残っています。そういうハンデのある温泉地にあって、琵琶湖が望めない というのは大きなハンデです。
しかし、あれが駄目だ、これが駄目だと言っていても何も解決はしないのです。私は「ある、ある、ある…」という発想をしなければいけないと思っています。旅館の方々のお話を聞いていると、うちにはあれがない、これも ない、等々ないことばかり嘆いている方が多いように感じます。すぐに、20個くらい欠点を挙げてきます。

「人生は心一つの置き所」(中村 天風)

という言葉があります。自分はコンピューターが得意だとか、自分は健康だとか、女将さんがベッピンだ、とか取り上げればたくさん良いところがあるはずなのです。これらも経営資源 なのです。これを自分が発見できないだけなのです。
自分のところの強みは何なのか?、他に誇れるものは何か?、どうしてもないのであったら、どうしたら造れるのか、ということを根本から考えなくてはいけないと思います。それでビジネスを組立て、「人・物・金」を使って闘って いくのが商売だと思います。

まだまだ、いたらないところが多い湯元舘です。まだまだ、発展途上です。しかし、次にお越しいただく時にはもっと良い旅館になっています。私を支えてくれた社員の為にも、もっと良い旅館になります。
株式上場も考えています。社員に株も分けたいと思います。一度潰れた旅館で、4回も潰れかかった旅館です。それを助けてくれたお客様、社員、社会への恩返しの意味も含めて、もっと、もっと良い旅館になり、報いていきたいと思っています。

平成12年9月4日に行われました 第3回(通算115回)旅館大学セミナーにおいて『忘己利他の経営』と題し行った講演です。小生の半生と経営に対する考え方を述べました。

湯元舘 社長 針谷 了

« トップページへ戻る